【考察】FAR CRY4のストーリーについての考察

f:id:LINER03:20180301105523j:plain

 

※(注意)本記事はネタバレ全開です

(3/22 一部の論旨を再考し、修正しました)

 

もうすぐファークライ5が発売されます。発売に備えて、テンションを上げて行く意味でファークライ4のストーリーについてファークライ3も絡めつつ色々考察してみたいと思います。

(※私は1、2、プライマルは未プレイの為、これらのシリーズ作品には当てはまらない箇所もあります事をご了承下さい) 

 

 

ストーリー 

まずは3と4のストーリー

『FAR CRY3』
3の主人公ジェイソン・ブロディは極限の非常事態において、自らが無意識の内に抱え込んでいた劣等感を暴力によって克服出来るという錯覚に捉われ、最終的には暴力に溺れた狂人と化す物語だった。

彼は金持ちのボンボンで、ルックスも結構なハンサムだが、一方で自ら誇れるような事を成し遂げた事は無い。彼のガールフレンド・リザはハリウッド期待の新人女優で、自信に満ち溢れている。他の友人も同様であり、ジェイソンの兄貴に至っては、一家の長男にして軍人という「立派」を体現したような人物だ。ジェイソンは仲間と青春を謳歌しつつも、一人孤独を感じていた。

これが南国の島で仲間と共に海賊集団に捉われた事により一変する。軍人の兄貴は物語のプロローグでお呼びでないとばかりに早々と死亡する。そして、間一髪海賊のアジトから逃げ延びたジェイソンは仲間を助け出す為に戦って行くのだが、彼はそこに自分の自尊心を見出してしまう。戦っている時、彼は兄貴以上のタフなソルジャーであり、彼女以上のアクションスターだった。

この設定を際立たせるのが、デスフロムアバブやチェーン・テイクダウンなどのキルムーブとリアルでシャープな重火器のデザインで、正に「力の象徴」である。

暴力を厭わない「勇気」と仲間を救出する「大義」は彼の劣等感を完全に吹き飛ばした。ジェイソンを止めるものは何もない。

だが、それは仮初めの「自信」だった。

仲間を救出して、リザが「もうこんな事は止めて、家に帰ろう」と言った時、彼は激しく拒絶した。止めてしまえば、また「唯のジェイソン」に戻ってしまう。彼は完全に暴力という麻薬に依存するようになっていた。

海賊のリーダー・バースを殺し、その海賊を操っていた大元・ホイトを殺し、最終的に彼は支援組織の長であるシトラの前で仲間を殺して「王」になる(完成された自分の存在を永遠のものにする)か、最後の理性を振り絞ってそれを拒絶するかという2択を迫られるーーー。

 

f:id:LINER03:20180303173126j:plain

『FAR CRY4』
主人公エイジェイ・ゲールは幼い頃、アジアの王国キラット(架空の国)から母と共にアメリカに移住してきた移民だったが、母であるイシュワリ・ゲールの死に伴い「ラクシュマナの元に連れて行って欲しい」という彼女の遺言を頼りにキラットを訪れる。

キラットはパガン・ミンという独裁者が率いる「王立軍」と反政府組織「ゴールデンパス」が内戦を繰り広げていた。冒頭でエイジェイは王立軍に捕らえられ、連れて行かれた王立軍の施設からゴールデンパスの支援を得て脱出。その後はゴールデンパスに加わり、パガン・ミンの王立軍と戦い始める。彼の活躍で王立軍の幹部デプルールやヌーア、ユマなどが次々と倒されて行く。

しかし、プレイ中にもちょくちょく無線で顔を出すパガンはやたらフレンドリーで、どうにも憎めない人に感じられる一方、ゴールデンパス内部でも、保守派のサバルとリベラル派のアミータが、紛争後の国の在り方を巡って、次第に凄惨な内紛を起こす。

エイジェイは最終的に、サバルかアミータ、どちらかの側に付く事を迫られる。そして、内紛に決着を付けた後、王宮でパガンと最期の対峙をするーーー。

 

3と4の差異と問題点

ファークライ3はFPSに馴染みの薄い日本のゲーマーにも良く受け入れられたゲームだったと思う。

作り込まれたオープンワールドやシングルプレイが主体であったのもさることながら、見た目に反して等身大で身近なストーリーが「FPS=銃で人を殺しまくる戦争ゲーム」「キャンペーン=マルチプレイの前座」という先入観を丁寧に取り払ってくれた事も大きい。

主人公ジェイソンは、プレイヤーの主体層であると思われる若年・青年層のメタファーとしては画期的なキャラで、仲間があっても拭い切れない孤独や、劣等感を力で覆したいという彼の衝動には結構なプレイヤーが感情移入したのではないだろうか。

そういった点でファークライ3のストーリーは青春群像劇やジュブナイルの要素を盛り込んだ私小説としても非常に面白い。

終始一貫した迫真のストーリー展開はテレビ画面から出てくる貞子よろしく、プレイヤーをあくまで物語の傍観者とせず、その「プレイヤー(ゲーマー)」というタグを取り払った上で現れる、真っ新な若年・青年層の深層心理に訴えかけて、ゲームの中に引きずり込んでくれた。

 

f:id:LINER03:20180308003759j:plain

一方、好評だった3に比べると、4はあまり評価が乏しくない。ゲームとしてほとんど変化が無かった事もあるが、ストーリーの分かりづらさにも問題があった。 

私も1周目をクリアした時は狐につままれた様な感じで、ストーリーは印象に残りにくく、様々なゲーム内資料や色々なゲームブログの解説を読んでようやくおぼろげながら物語が分かってきたという感じだった。

 

ファークライ4のストーリー構造は、3と似て非なるもので、

「(3と同じ構造で)もっとエキサイティングな物語を見せてくれるだろう」

という期待を持ち込むとかなりの程度で肩透かしを喰らう。

 

その差異と問題点をいくつか挙げてみる。 

①主人公の没個性化
「狂気」を主観的に経験させる3に比べて、4は客観的になっている。ジェイソンは狂気の体現者として物語の主人公に相応しく振舞ったが、エイジェイはあくまで客演として他人の狂気の傍観者に留まる。 その他にも、強烈な個性でプレイヤーを引っ張ってくれたジェイソンに比べて、エイジェイはかなりフラットな人物として描かれている為、感情移入がしにくい。

 

②戦う動機と主人公の目的の乖離
加えて、「仲間の救出」という明確な戦う理由があったジェイソンに対し、エイジェイは冒頭から場の雰囲気に流されるまま戦い始める。エイジェイには、ジェイソンのような強烈な心理的背景、あるいは革命家・軍人としてイデオロギー的信念がある訳でもない。

そもそも、エイジェイの本来の目的は母親の亡骸をラクシュマナに持って行くことであるため、どうしても銃を取って戦わねばならない理由が無く「なんでこの人いきなりノリノリで戦ってるの?」と感じてしまう。

f:id:LINER03:20180308104840j:plain

サバルはパガンを打倒すればラクシュマナに「行ける」と言ってはいるが・・・

この「感情移入のし辛さ」「戦う動機の薄さ」はゲームクリアまで一貫して変わらない。 

 

③テーマに「戦争」を持って来た事
犯罪事件に巻き込まれる一般人を扱った3に対し、4では政治や戦争、革命などがテーマになる。これにより、FPSではよくある戦争ゲームと一見ダブりやすくなり、ストーリーのオリジナリティは影を潜めやすくなった。

ファークライ3の「軍人や警官では無く、あくまで一般人が銃を取って戦う」という設定は、一般的なFPSとの差別化(戦争ゲームでは無くサバイバルゲームである事)に貢献しており、主人公ジェイソンの異常な戦闘力も、力への渇望や劣等感の大きさの裏返しとして説明付けられていた。

対して4の「戦争」と言うテーマは主人公を実質的に軍人として扱った事で、FPSのよくある主人公(スーパー軍人)に見えるという既視感を感じさせる(これは主人公の没個性化にも一役買っていると思う)。その上、エイジェイはジェイソンと同等か、それ以上の戦闘力を誇るが、その根拠が示される事は無い。

 

④戦わされている・やらされている感
さらに、主人公に指示をする指導者(サバルやアミータ)の存在により、末端の兵士として他人の目的の為に使いっパシられている感も大きく、これに冗長な移動と膨大なサブクエストで埋め尽くされたオープンワールドが拍車を掛け、ますます何の為に戦っているのか解らなくなる。

 

⑤ハッキリしないエンディング
3では主人公の狂気一点にテーマが集中し、最終盤において極まった狂気のボルテージは最後の選択で良くも悪くも解放される。グッドエンドではプレイヤーが、バッドエンドではゲーム側がハッキリとゲームを終わらせてくれた

このテーマが「収束していく」3に対し、4は「分散する(あるいは雲散霧消する)」形になっている。

4のエンディングでは、パガン・ミンの独裁政権を引っ繰り返す事は出来るが、その過程でゴールデンパス内部での分裂や、実権を握ったリーダー(サバルorアミータ)による強行な施政方針の方が目立つようになり「悪の独裁者VS自由の戦士達」という構図は終盤で決定的に崩壊する。

さらに、パガン・ミンもプレイヤーが親近感を抱くキャラクターとして(かなり露骨に)作られており、彼を一方的に殺害する事も出来ない。

f:id:LINER03:20180318094902j:plain

パガン・ミンを殺害しなかった場合、彼は最後までニヤニヤ笑いながら去って行く

そのため「独裁者の打倒&平和な国を取り戻す」という当初掲げられた目的は最終的に形骸化してしまい、ゴールデンパスの内紛を見た後味の悪さと煙に巻かれた様な消化不良感だけが残る。

この「ハッキリしないエンディング」こそ本作のストーリーの評価を下げている最大の要因だろう。

 

ネタバレと考察 

このストーリー構造にはどんな意味があるのか。以下ネタバレで考察してみたい。

 

ラクシュマナの正体とゲール一家
パガン・ミンは登場した直後こそ部下を残虐に処刑して悪人っぷりを見せるが、エイジェイに対しては気持ち悪い程友好的である。

エイジェイがゴールデンパスに加わり、どれだけ彼に歯向かおうとも彼は終始ニコニコしている。プレイ中にもちょくちょく無線を入れてきては楽しそうにエイジェイに話し掛けて来る。

それもそのはず、実はこの人、エイジェイの母イシュワリの浮気相手であり、関係が冷え切っていた本当の夫(エイジェイの実父であるモハン・ゲール)を差し置いて、心から愛した男性であり、実質的にエイジェイの義理の父親なのだ。ラクシュマナとは、パガンとイシュワリの間に出来た子供で、エイジェイの義理の妹である。

ラクシュマナは幼少でパガンとイシュワリの関係を知って激怒したモハンに殺害されている(革命組織の大幹部が敵とデキてしまった事に対する落とし前だったのか、単純に妻を寝取られた恥辱に対する報復だったのかは不明)。

そのモハンもラクシュマナの殺害に激怒したイシュワリによって殺害され、イシュワリは失意の内にエイジェイを連れてキラットを出国した、という訳だ。

(ゲーム開始時点でこの真実を知っているのはパガン・ミンだけ) 

f:id:LINER03:20180306143449j:plain

本作の人物相関図。数字は時系列に発生した順番

何とも複雑で血生臭い関係である。3の狂気が主人公の内面に潜むものだとすれば、4は血に潜む狂気だと言える。しかも、国の命運を左右する革命組織の瓦解の原因が血塗れの痴話喧嘩だったというのは皮肉極まりない話だ。その後始末をさせられるエイジェイには同情を禁じ得ない。

この泥沼の果てに生き残ったのはパガンとエイジェイだけだ。

彼がいつもエイジェイに親しげなのも当然で、彼の笑みには狂気に満ちた独裁者としての側面は勿論含まれてはいるが、エイジェイに向ける笑顔は完全に父親のそれである。

 

アメリカでのエイジェイ
その後、アメリカに渡ったイシュワリとエイジェイだが、生活は差別と貧困に満ちており、10代後半でエイジェイはギャングの強盗殺人事件に巻き込まれて、行きずりで犯罪に加担してしまう(殺人には加担していない)。

そして刑務所送りになり、出所後、イシュワリが末期の乳がんである事、自分達がキラットの出身である事をイシュワリの告白によって知る。程なくしてイシュワリは「ラクシュマナに連れて行って欲しい」という遺言を残して亡くなり、彼はキラットを訪れ物語の冒頭となる。

彼の人生は惨めさと悲劇の連続だっただろう。性格も悪人では無いが、かなり不器用だったようで、行きずりで犯罪に加担してしまう辺りはキラット訪問後の彼を象徴している。

エイジェイが戦う理由に関して、これはあくまで憶測だが、これだけ辛い人生を送って来た青年が祖国に戻り、父親(モハン・ゲール)がゴールデンパスの英雄だった事を知り、その英雄の後継者として持て囃されたとしたら、案外その気になってしまうのではないだろうか。エイジェイ本人は「イシュワリの遺灰を埋葬するために来た」と言ってはいるが、「惨めだった自分の人生が戦う事で輝き始める」と言う点では3のジェイソンに重ねる事が出来る。

 

通常エンド
本作の終盤、エイジェイはサバルとアミータの抗争に無理矢理決着を付けはしたが、かつての団結は最早無く、気まずい雰囲気の中、パガンの元に辿り着く。

しかし、ここで彼を倒して何とかゲームを終わらせようとするプレイヤーの気持ちは見事に打ち砕かれる。

f:id:LINER03:20180318234104j:plain

彼は今ここにいるエイジェイは母親の遺灰を埋葬しに来た息子か、それとも唯の殺人鬼かと問い、理路整然とプレイヤーがこれまで積み重ねてきたプレイを総括した上で、つまり後者の男だと断言する。「他のサルどもと一緒になって、クソを投げ始めた男」とまで形容して。

悪人を倒しに来たつもりが、逆にプレイヤーが手痛いお説教を喰らうと言う訳だ

そして、このまま自分を殺す事も出来るが、それは「つまらん」と言い、もう一度食事をしてイシュワリの遺灰を埋葬しに行こうじゃないかと提案する。

ここで、プレイヤーにとっては「つまらないもの」だった主人公の目的が意味を持ち、プレイヤーの動機を支えていた「(ゲームとしての)人殺し」が「つまらないもの」に価値が逆転する

f:id:LINER03:20180318095743j:plain

彼を殺害せず席に着くと、微妙な空気の中、彼はさらに追い打ちをかける。なんと彼は最初からエイジェイにキラットを譲渡するつもりだったという。

つまり、革命戦争などする必要は無く、無駄な時間と死体の山を重ねただけで、再び物語の冒頭に戻されたと言う事になる。

ゴールデンパスにはリーダー(サバルかアミータ)がまだ残っているが、いざとなればお前が好きにすれば良い、と(明言はしないが、要するに気に入らなければ殺してしまえと言う事だろう)。

そして、イシュワリの遺灰を埋葬して、彼は去って行く。最後までこちらを笑いながら、より混迷したキラットにエイジェイを永遠に置き去りにして。

f:id:LINER03:20180318095912j:plain

「ヘリは貰っていく」というセリフは、ヘリでキラットを出て行く=ゲームを止める手段をプレイヤーから取り上げるという意味だろう

こうして、これまで悪人として、父親として見せられてきた彼の笑顔は、エンディングに至って、エイジェイを通してプレイヤーに向けられる嘲笑として完成する

 

隠しエンディングが意味するもの
エンディングに関しては、この皮肉だけでは終わらない。呆気にとられるプレイヤーに対してこの作品はちゃんと答えを用意してくれている。

f:id:LINER03:20180319131103j:plain

オープニングの会食の席で 「待っていてくれ」というパガンの指示通り、待っていれば彼は戻って来てそのままイシュワリの遺骨を埋葬し、エンディングになる。恐らく、これが最も平和な(というかマシな)終わり方だろう。

この隠しエンディングが意味するのは、ゲームプレイそのものの否定である。

通常エンドとの関係性で考えると、

『ゴールデンパスに加わり一通り「ゲームを」「楽しんで」、最後により混迷したキラットに永遠に置き去りにされるか(永遠にゲームし続ける事を強要されるか)』

『開始数十分でさっさとゲームを終わらせてしまうか(すっぱりとゲームを止めるか)』

どちらか選べという作品側からのメッセージだろう。

ファークライ3には明確なグッドエンドとバッドエンドがあったが、4はそもそもゲームを終わらせる気が無いor開始数十分でゲームを止めさせようとする

むしろ、どのルートでも本来の目的(イシュワリの遺灰の埋葬)が達成出来ると言う点では、隠しエンドを推奨している感すらある。

通常エンドに進む場合、エイジェイが戦う理由を多少動機付けする事は出来るが、ゴールデンパスに加わって戦う理由の大部分はプレイヤーの動機に委ねられる為、前作の様に「ゲームで人を殺しまくる責任」を主人公の個人的な理由に仮託出来なくなり、「ゲームVSプレイヤー」というゲーム内の枠を超えた対立構造が浮かび上がる。

恐らく、4のハッキリしないエンディングの正体はここにある。

通常エンドではパガン・ミンが、プレイヤーを煙に巻いてゲームの目的を無意味なものにしてしまう上に、斜め上を行く隠しエンディングの導入による極端な2択が、エイジェイの物語を差し置いて、いきなりプレイヤーに答えの出し辛い問いを発して来るのだ。

 

妖精パガン・ミン

f:id:LINER03:20180319132316j:plain

上述の隠しエンディングは、ゲームとしては酷い終わり方である。「これじゃ、ゲームする必要がないだろう」と面食らう。

ここで、本作を購入した動機について考えさせられる。

そもそも、私は何故このゲームをプレイしようと思ったのかと言えば、単純明快「銃をぶっ放して暴れたかったから」だ。

FPSに代表される所謂暴力ゲームにはその暴力を正当化するための「悪役」が必要である。彼らは世界に破壊と混乱をもたらし、それに対抗するというストーリーを作り出す事にも貢献してくれている。

その銃をぶっ放す口実を与えてやろうと言う事で、パガン・ミンは悪役を買って出たというわけだが、悪人としての彼はフェイクであり、むしろ彼は

『ゲーム内でプレイヤーが振るう暴力に釣り合わせる為に』

『「パガンの悪行に比べれば大したことじゃない」と自己正当化させる為に』

悪役を演じていると言っても良い。これはキャラクター設定として、かなり意図的に仕組まれたものだ。

f:id:LINER03:20180320060012j:plain

このパガン・ミンのわざとらしい悪役っぷりが、暴力ゲームを楽しんでいるプレイヤーに対する揶揄の要素を引き立てる。

彼はあくまで登場人物として「作品の中」で生きているサバルやアミータを尻目に、「作品の外」で遊んでいるプレイヤーに目をやり、そのプレイヤーがまんまと引っ掛かった事を笑う。

彼は夢中になって遊んでいる(暴力を振るっている)プレイヤーの頭を「そうかそうか、よしよし。」と満面の笑みで撫でてくれる。そして、最後になって

「お前が英雄気取りで暴れ回ったせいで、ただ事態は混乱しただけだったが、楽しかったか?」

とほくそ笑む。

先程、「悪役は世界に破壊と混乱をもたらす」と書いたが、ここに至ってプレイヤーは「ヒーローVS悪役」の主客が逆転していた事を教えられる。

ここで頭に来てパガンを撃ち殺す事は、暴力を振るい続けて来たプレイヤーの罪をさらに上塗りしてしまう事になるし、既に彼の殺害は「独裁者の打倒」から「父親殺し」に論点がすり替わってしまっている。それ以前に、散々パガンに親近感を抱く事で「無力化」されて来たプレイヤーは彼の殺害を大いに躊躇する。

結果として、プレイヤーは終始パガン・ミンの手の内で転がされていた事になる。

この皮肉にトドメを刺さんとばかりに強調されているのが、ゲームディスクに描かれたイラストだ。パッケージを開ける(つまり、遊ぶ気満々で購入してみる)と、玉座に座ったパガンが正面(プレイヤー)を見ながら、うなだれるゴールデン・パスの兵士の頭を撫でている。

f:id:LINER03:20180314080855j:plain

兵士の手に握られている手榴弾は自決用、つまりGPが内紛で自滅する事を意味する

彼は最初から結末を知っていて「せいぜい楽しんでくれよ。」とプレイヤーを嘲笑っていたのだ。

そして彼は去って行く。プレイヤーを独り置いて。

「さあさあ、楽しいゲームはまだまだ続くぞ!」

彼は永遠に終わらない悪夢へと誘う妖精だ。 

 

こう考えると、パガン・ミンのこのメタな存在感には、純粋に不快感を覚えるプレイヤーも多いかも知れない。

だが、個人的には非常に丁寧に、細心の注意を払って作られた痛快な悪役でもあると思う。

暴力ゲームをプレイする口実として、半ば「無理矢理登場させられる」悪役は、よく陳腐で破綻したストーリーを生むことが多いが、ファークライ4は悪役にここまで意味を持たせる事で、「どうせ安っぽい話だろう」とタカを括っていたプレイヤーを大いに翻弄して楽しませようと挑戦している。同時に彼の笑みは、それらのこじつけ気味な安っぽい悪役をまとめて一笑に付している感すらある。

何より、その思想に説得力を持たせるだけのカリスマが彼にはある。

まとめ

以上の考察をまとめると、大体以下の通り。

・主人公の没個性化と「戦争」というテーマ→プレイヤーへのメッセージを前作よりダイレクトに伝える為&政治的選択を要求するストーリー(主にサバルとアミータの選択)において、プレイヤーの選択にバイアスを掛けない様に、あるいは作品側が政治的な立場を一方的に主張しない様に、敢えて没個性化した。

 

・エイジェイが戦う動機と目的の乖離→エイジェイのバックグラウンドを知る事で前作の主人公に重ねる事が出来る(ただし憶測)が、敢えてプレイヤーの動機を炙り出す為に仕組まれた可能性が高い。

 

・スッキリしないエンディングの正体
①パガン・ミンにこれまでのプレイを否定され、彼が殺せない事でプレイヤーが最初から抱いていたであろう戦争ゲームとしては完成させる事が出来なくなる上に、こじつけだと思われた本来の目的(遺灰の埋葬)が意味を発揮し、長い時間を掛けて物語の冒頭に戻されてしまう。

②「ゲームプレイの否定」と「本来の目的を思い出せ」というメッセージは、隠しエンディングによって強固に補完される。

③本作の目的は混乱と殺戮の末に、プレイヤーを孤立させて、その場に置き去りにする事であり、そのサインはパガン・ミンを初めとして作品の至る所に隠されている。

 

といった所だろうか。だが、これらの解釈をした上でも、やはり描写不足だった印象は否めない。

パガン・ミンに頼り過ぎ
パガン・ミンは前作のバースにも劣らない魅力的な敵であることは間違いない。本作の魅力は彼一人に集約されていると言っても良いくらいで、主人公以上に悪人が存在感を見せるファークライシリーズの名に恥じない役目を負い、見事に演じ切っている。

しかし、「悪人として」「父親として」「プレイヤーを揶揄する妖精として」と何重もの役割を彼に負わせてしまった為に、却って捉え難い存在になり、同時に他のキャラ(主人公も含め)が彼の圧倒的な個性に付いて行けず、結果的にパガン・ミンが孤軍奮闘で作品全体を引っ張る形になってしまった。

 

バックグラウンドに関する描写不足
ゲール一家のゴタゴタは「モハンの日記」にほとんど集約されている。

これはコレクタブルの収集に意味を持たせようとしたのかも知れないし、単純にカットシーンを作る余裕が無かったのかも知れない。

その他にも致命的な描写不足として、アメリカでのエイジェイの生活は、ゲーム内では明言が無く、公式サイト(英語)の説明を読まないと分からない。

この描写不足を「敢えて考察の余地を残した」とか嘯いてほったらかしにしてしまうゲームは多い。それらの作品に比べれば余程誠実ではあるが、それでも物語の訴求力は前作より弱まってしまった。

 

点と点が繋がらない、プレイヤーへの揶揄の躊躇
狂気一点にテーマが集約されていた3に比べ、4は作品(オープンワールド)全体に点在する狂気が線になって結び付きにくい。

戦争や国全体を巻き込むという、より大きなスケールで物語を描いた為に人物相関は複雑になり、キャラクター達(特にパガン・ミン)のセリフは如何様にも取れる抽象的なものが多く、そのセリフもエイジェイとプレイヤー、どちらに対するものなのか判別し辛い。

そもそもファークライ4のテーマは狂気以上に「家族を巡る愛憎劇」の方が目立つ。

その他、あまりにも意外な隠しエンディングの導入など、プレイヤーへの揶揄も3に比べてかなり遠回しで、どこか躊躇している印象を受ける。

 

ファークライのオリジナリティ
この「躊躇」から考えられるのは、実はファークライのプレイヤーに対する揶揄はゲーマーを真っ向から完全否定しているものでは全く無い、と言う事だ当たり前の話だが、ファークライは道徳の教科書では無いし、そもそもプレイヤーはお金を払ってプレイしている「お客」である。

では何故こんな皮肉に満ちたメタファーを仕込んでいるのかと言えば、恐らく類似作品と差別化を図る為に選んだ作品の「売り」なのだろう。AAAタイトルに相応しい「手の込みまくった皮肉」だからこそ、ファークライはプレイヤーを魅了し続ける。

一見、分かりにくい物語の構造からは、偉大な前作(ファークライ3)に対するプレッシャーの跡が伺える。ファークライらしい皮肉に満ちたストーリーにしつつも、プレイヤーを一方的に断罪しないように、とバランスを取るのは難しかっただろう。

今作の「売り」は、ストーリーはパガン・ミンに頼り過ぎたし、ゲームとしての変化はそれ程無かったという欠点はあるものの、彼のディテールのこだわり様には開発者の本気を感じるし、ゲームとしても当代一級の作品である事は間違いない。

f:id:LINER03:20180318101825j:plain

その通り。「楽しかった」

個人的には「4」の名に恥じないファークライらしい作品だと思う。

 

あっても良かった演出、モノ
もし冒頭でアメリカでのエイジェイの生活や刑務所に入るまでの経緯、イシュワリの最期などを描いたカットシーが導入されていれば、キラットで彼が戦う理由はもっと意味を満たせる事が出来たかも知れないし、「モハンの日記」に対するカウンターとして「イシュワリの日記」があっても良かっただろう。

その他にも、イシュワリがキラットを出国するまでの前日譚を描いたDLCがあれば、本編を周回させる大きな原動力になったと思う。

ついでに言うと、本作のシナリオは「主人公の透明化」「選択肢の導入」「魅力的な悪役」「最終的に一国の王になる」事などから、RPGに向いている。エイジェイ王としてその後のキラットに関与する事が出来たら、もっと評価も変わっていたのではないだろうか。

 

その他の考察

『オープニングのメタファー』

f:id:LINER03:20180308010515j:plain

実は本作の物語の顛末やメッセージ性は、オープニングムービーでほとんど語られている。

バスを攻撃した部下をパガンが殺害するシーンでのやり取りでは、なぜバスを撃ったのかと詰問するパガンに、兵士は「制御できなくて」と言う。パガンは兵士を殺害し、「間違いか喜劇か」と笑い出す。

そして、その兵士を指して「サルみたいなもんだ」「サルにエサをやると、奴らは...クソを投げ合うだろ?」と罵る。f:id:LINER03:20180308013800j:plainf:id:LINER03:20180308013926j:plain

結局、この言葉はエンディングでプレイヤーに向けられると言う訳だが、もっと広範な解釈をすると「制御できなくて」という兵士は「早くゲームがしたい」というプレイヤーの心境を代弁し、「サル」という例えは明らかにプレイヤーへの侮蔑、「エサ」とはFPSに代表される暴力ゲームを表す。「クソを投げ合う」というのは様々な解釈が可能だが、マルチプレイなどで飛び交う暴言や悪意に満ちたメッセージの事だろう。

そこまで言っておきながら、パガンは「予定なら、君のために十分に空けた!」「これから...二人で、暴れまくるぞ!」とはしゃぎ出す。

「一緒にサルになろうぜ」と言わんばかりに。

f:id:LINER03:20180308014831j:plain

そして、プレイヤーは麻袋を被せられて連行されるが、その最中に一瞬だけ流れるThe Clashの「Should I Stay or Should I Go」はその後の会食の席で待つ(stay)か抜け出す(go)を意味する。

冒頭の「間違いか喜劇か」というパガンの台詞はプレイヤーの選択に対する結論であり、「どれを選んでも変わらない」エンディングに対する総括だろう。 

 

『喜劇FAR CRY4』

パガン・ミンの「喜劇」という表現を、あえて開き直って真に受けてみれば、本作はシュールとナンセンスの塊だとプレイヤー側から笑ってやる事も出来る。 

痴話喧嘩
モハンとイシュワリの殺人劇は、結局の所、痴話喧嘩である。

二人がどう反論しようとも、「ゴールデンパス弱体化」という立派な成果があるので、有無は言わせない。

f:id:LINER03:20180320044900j:plain

カスタムサントラで「渡る世間は鬼ばかり」のテーマソングでも掛けながら「モハンの日記」を読めば、狂気の愛憎劇は途端にギャグと化すだろう

このいきさつをエイジェイがサバルとアミータに話したら、サバルはその場で脳溢血を起こして憤死するかも知れないし、アミータは荷物をまとめてさっさとキラットを出て行ってしまうかも知れない。

この事実を二人が無視し、革命を続行したとしても黒歴史になることは間違いない。文字通りの「恥部」である。

 

世紀末血みどろコント集団 
モハンとイシュワリの関係が痴話喧嘩なら、エイジェイとパガンの戦いは、早い話が親子喧嘩だ。

しかもパガンは、反抗する息子を諫めるどころか、ヘラヘラ笑って挑発して来るトンでもないオヤジと来た。(パガンが普通の父親だったら、対物ライフルで他人の脳天をぶち抜く息子など全力で止めようとするだろうし、第三者がエイジェイを見たら、親の顔が見てみたいと思い、実際に見て納得するだろう。)

見た目のシリアスさを抜きにして考えれば、ファークライ4は「どいつもこいつもロクデナシ(withプレイヤー)」で「好き勝手やりたい放題」で「この親にして、この子あり」で「この子にして、この義親あり」の世紀末コントである。

ここでもパガンが(コメディアンとして)、輝きを見せてくれる。難しく考えずとも、「まあ、ゲームは楽しかったし、パガンは何か面白いオッサンだったな。」という感想でも十分な評価だと思う。

 

最強最悪の薬物業者
サバルとアミータは、薬物の是非について真剣に議論しているが、二人共最大の不安定要素を忘れてしまっている。

つまり、その辺の薬草から瞬きする間に鎮痛剤やら興奮剤を作り出すエイジェイ・ゲール氏その人である。彼がその気になれば、キラットは世界最大の麻薬国家になるだろう。CIAにも狙われる麻薬王キング・エイジェイ爆誕である。

f:id:LINER03:20180315190151j:plain

パガンの息子は伊達ではない

その他にも聖書ゴリ押しで殺人と金儲けを正当化するロンギヌスの一発屋芸人みたいな勢いや、ドヤ顔で去って行こうとしたのにヘリごと撃墜されるパガン・ミンと直後の「やっちまった感」溢れる気不味い沈黙など、狂人達の楽園を探してみれば、笑える要素は沢山ある。

 

『オカンFARCRY4』

ゲーマーへの揶揄をもっと単純に考えると、プレイヤーを置き去りにする通常エンドは、スーパーのお菓子コーナーで駄々をこねている子供と、呆れてその場に置いて行こうとする母親のやり取りそっくりだ。(そして子供は駄々をこね続け、なんだかんだ言いながらも母親は連れ戻しに来る)

隠しエンドは「親の言う事を聞いていれば、ご褒美(国丸ごと)が貰える」と言っているに等しい。

(ついでに言うと、強制的にゲームが終了する3のバットエンドは、ゲームに夢中な子供に業を煮やしてコンセントを引っこ抜いたり、ブレーカーごと遮断したり、ゲーム機のコードをペンチで真っ二つにするオカンそのものである)

何より、この辺のお説教とお仕置きに一番身に覚えがあるのは、当の開発者達自身じゃないのか。でなければ、こんなクリティカルなメッセージに満ちた作品など作れるはずが無い。

 

『親子三代スパイ説』

エイジェイの個性の薄さを逆手に取れば、プレイヤー側からキャラ設定を自由に行うRPGライクな遊び方も可能だ。

一説を挙げるなら、エイジェイの母方の家系は、少なくともイシュワリとその親の代からキラットに潜入していたCIAのスパイだった可能性がある。

目的は王立軍と反政府勢力、両方の弱体化だ。エイジェイは自分の過去を知らないままCIAの工作員として育てられ、母親の遺灰を撒くという名目でキラットに入国。義父のパガン・ミンに接近しつつ、ゴールデンパスの内紛を誘発。最期はパガンを追い出し、ゴールデンパスのリーダーを傀儡にして、親米政権を樹立させる。

これならエイジェイのスーパーソルジャーっぷりを説明できるし、パガンにも「騙されていたのはお前だ」と意趣返しが出来る。その上、パガンや敗北したゴールデンパスのリーダーを射殺する事も「冷酷な暗殺者による口封じ」というダークヒーローな設定で躊躇う必要が無くなる。気分はジェイソン・ボーンだ。

 

焼野原ひろし』

メタなレベルではシニカルな方向で解釈出来てしまう本作だが、勿論、好意的な解釈も出来る。

ゲール一家の痴情のもつれやエイジェイとの関係を、パガンがプロパガンダとして利用し、ゴールデンパスを無力化する事も出来たはずだが、彼はそうしなかった。それどころか、最後までひた隠しにして、真実はエイジェイとパガンのみぞ知る事になる。

「父親」の観点から見れば、プレイヤーをゲームにノセてこようとするパガンの一連のメタ発言は、自分を倒す事で証明されるエイジェイの逞しい成長を(サイコパスの彼なりに)喜んでいるようにも聞こえる。

特筆すべきはエンディングでの彼の笑顔だ。通常エンドでエイジェイがパガンを撃ち殺さなかったのは、彼がパガンを父親だと認めてくれた証でもある。同時にイシュワリとラクシュマナの埋葬も出来て家族が揃ったが故の純粋な喜びもあっただろうし、隠しエンディングでは、エイジェイがパガンに歯向かわなかった事も手伝って、本当にピュアな彼の笑顔を見る事が出来る。

f:id:LINER03:20180306145320j:plain

ラクシュマナを失って以降、廃人同然だったというパガン・ミン。父親が違うとはいえ息子(エイジェイ)が戻って来てくれたのは本当に嬉しかっただろう

エンディングに関しても、どのルートでも本来の目的は達成出来る(イシュワリの遺骨が埋葬出来る)と言う事は、何が正しかったのか判らなくなって来る本編において、子供と一緒に居たいという母親の純粋な愛情だけは絶対に成就するという肯定的な感覚を与えてくれる。  

 

『サバルとアミータ』

最後にサバルとアミータの選択について。

本作ではパガン・ミンを倒しに行く前に、エイジェイが所属する反政府組織ゴールデン・パスでの内紛が発生し、伝統を守って昔の国の在り方に戻そうとするサバルと国を近代化させ、経済的発展と男女平等を掲げるアミータが抗争を繰り広げ、その過程でプレイヤー(エイジェイ)はどちらかに味方する事を迫られる。

結果として、味方をしなかった方は殺されるか、国を追い出される事になる。しかも、この「追い出すか、殺すか」という選択もプレイヤー自身の手に委ねられる。

1周目、私はアミータを選んだ。理由は、伝統を守るというサバルの主張がやや後ろ向きに思えたのに対し、経済的発展と近代化を主張するアミータの方が積極的に見えたからだった。麻薬を医薬品に変えて外貨を稼ぐという彼女のやり方は危なっかしいが、これぐらいしか産業の種が無いから仕方ないか、と。

しかし選択後は、国の歴史が前進した感覚よりも、強制的に国民を労働徴発するアミータの狂気の方が目立ってしまう。

正直、どちらを選んでもロクでも無い結果になるので、正解がある選択ではないと思う。

と言う訳で、今回はサバルを擁護してみたいと思う。

このサバル擁護には、個人的に去年プレイした『Ghost Recon Wildlands(以下GRW)』が大きく影響している。 

f:id:LINER03:20180315190311j:plain

GRWでは、麻薬カルテルが支配する南米のボリビアが舞台となっており、言ってみればアミータが主導権を握った「その後のキラット」が描かれている

 GRWをプレイした上で考えられるアミータルートの問題点は以下の4点

・麻薬を巡る抗争
麻薬を医薬品に変えるという発想はともかく、これを巡ってキラット国外から不穏な勢力が乗り込んで来て、紛争が勃発する可能性がある。こうなれば国内の開発どころではなくなる。

 

・アメリカの介入
仮に敵対勢力を一掃したとしてもまだ懸念はある。つまりアメリカの介入である。いくらアミータが強力な軍を組織したとしても、アメリカ(またはそれに準ずる多国籍軍)が介入してくれば、もはやお手上げだろう。地政学的にもロシアや中国の介入も考慮せねばならない。麻薬を産業にしているだけあって、国際的な正当性も主張しにくい。

 

・産業の構造転換と国民の士気
上記2点の問題が避けられたとしても、一度麻薬商売の旨味を知った国民に、「明日から学校に行って勉強して、大学に行って賃金労働者として真っ当な仕事に従事しなさい。」と言っても無理だろう。

麻薬産業が発展していく過程で、国民にも麻薬汚染が蔓延していく可能性も極めて大きい。麻薬汚染が健康はもとより、勤労意欲を破壊して国全体の崩壊に繋がって行くのは古今東西の歴史が証明済みである。

 

・アミータのカリスマ
一番の問題は、アミータ自身がこれだけのリスクを背負っても国を引っ張っていけるかどうかである。正直、私にはアミータがパガン・ミンやエル・スエーニョ(GRWのカルテルのボス)のようなカリスマになれるとは思えなかった(彼女はあまりにも人間が正直だし、真面目過ぎる)。

そうであるが故に、経済発展の過程で彼女が拝金主義の小悪党に転落する可能性も否定できないし、最終的には荒廃したキラットに見切りを付けて、バドラと共に金だけ持って国外に逃亡する姿が浮かんでしまう。

f:id:LINER03:20180315190707j:plain

ヨーロッパかアメリカで事業でも立ち上げて、優雅な生活をしながら、遠い祖国の民を愚痴る姿が思い浮かぶ

これらの点を考慮すると、麻薬畑を焼き払うサバルの選択は倫理的なもの以外でも、政治的なリスクをヘッジするものだし、サバルを選んでアミータに国を出て行ってもらうのは結果を先取りしているとも言える。

とはいえ、サバル側に付いたとしても、結局はアミータの粛清とタルン・マタラに祭り上げられたバドラを見せつけられるし、メインミッションでアミータに加担した時のサバルのキレっぷりを見ていると、やっぱりこの人を選んでも正しいとは言い難い。

f:id:LINER03:20180315190506j:plain

とあるミッションでエイジェイがアミータに加担した事を知って激昂するサバル氏。日本語版の吹き替えも素晴らしく、イデオロギーに人が乗っ取られたようだ

産業に関しても、そもそもサバルは経済発展は眼中に無いらしく、国民は相変わらず貧しいままになる。(経済について出来る事があるとすればタルン・マタラのお祭りをメインにした観光などが思いつくが、そんな提案をしたら喉元を掻っ切られるだろう)

仮にサバルに付く場合、彼のやり方に積極的に賛成と言うより、アミータのやり方はあまりにリスクが高すぎて、消去法でサバルを選ぶしかない、というのが彼を擁護する場合の私の考えである。

 

(ここから妄想)
仮に隠しエンドでエイジェイが新たな王になり、モハンの息子でありながらパガンの義理の息子でもあるという彼の立場から融和を図るとすれば、議会制民主主義の導入が最も穏健なやり方だろう。 

その上でサバルには保守系の、アミータには革新系の党首として国会中継で国民の監視の元、存分に議論してもらう。

まあ、これもそのうち陰謀めいたテロ事件などで破綻しそうな気もするが、エイジェイが真の改革を行うまでの時間稼ぎくらいは出来るかも知れない。  

 

5への期待

f:id:LINER03:20180311232410j:plain

翻って、もうじき発売のファークライ5。今回はアメリカの片田舎を舞台とするカルト教団との闘いを描くという。

歴史上、宗教は個人の内面を扱うと共に、政治問題にも深く絡んで来た。そういった点で5は、3と4のテーマを折衷(良いとこ取り)しているように見える。舞台が田舎であったり、主人公が新任の保安官(武装した治安要員というより駐在所のお巡りさんといった印象)であることから、コミュニティの問題なんかにも焦点を当てているのかも知れない。

ファークライシリーズは、ストーリーの語り口が4で鳴りを潜めた感があったが、昨年発売の「ゴーストリコン ワイルドランズ」では、かなり盛り返した印象があるし、4と5の間にプライマルという緩衝材を挟んだ事で、ユーザーも開発も次なる狂気の物語に備える時間は十分に確保出来たはずだ。

5ではどんな狂気を見せてくれるのだろうか。一見説教臭い皮肉と狂気に満ちたファークライの物語を、他作品には無いオリジナリティとしてもう一度輝かせるために、臆せずプレイヤーにぶつかって来て欲しい。こちらも対物ライフルとライトマシンガンとRPGを携えて真正面から受け止める準備は出来ている。